豊林寺城
玄渓豊林寺(真言宗)と豊林寺城跡 当時は、法道仙人が開基で、朝廷の尊崇が厚く、元慶元年(877)には陽成天皇の勅願所になったとの伝承があります。教仙僧都が宝治年間(1247〜49)に天台寺院十九坊を建て、三岳修験道の一寺として栄えたといわれています。中世のころ、応仁の乱や明智勢の丹波攻めの際に焼失し、慶長4年(1599)天台・真言寺院として再興されました。後ろの山に、豊林寺城があり、大芋式部丞(おくもしきぶのじょう)が応永年間(1394〜1428)のころに築城し、代々大芋氏の拠点でした。